涅槃像と伊藤真乗

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真如苑の本尊・釈迦牟尼如来(涅槃像)


真如苑は大般涅槃経を所依の経典とし、釈迦牟尼如来(涅槃像)を本尊とする仏教教団です。本尊を開祖伊藤真乗が自ら謹刻(彫刻)しました。


久遠常住釈迦牟尼如来(くおんしょうちゅうしゃかむににょらい)

“常住のみ仏”として最後のみおしえ『大般涅槃経』とともに永遠に存在し、あらゆる衆生を永劫にわたって救済しつづけるとされます。真如苑では、本尊仏として教主(伊藤真乗)が謹刻(きんこく)した大涅槃尊像(だいねはんそんぞう)をおまつりしています。

常住如来さまは、大日如来(だいにちにょらい)や阿弥陀如来(あみだにょらい)など一切のみ仏の教えや徳を包括し、人々を常楽我浄(じょうらくがじょう)の喜びへと導きます。


真如教主 伊藤真乗(いとうしんじょう)

以下公式ページより

阿闍梨・大僧正

1935年、真如苑の開祖・伊藤真乗は、鎌倉時代の仏師・運慶が刻んだと言われる仏像一大日大聖不動明王と出会います。
当時、航空エンジニアであった真乗は、この不動明王をお迎えすることを契機に、妻・友司とともに、仏道に入る決意をします。
翌1936年、真言宗醍醐派総本山一醍醐寺にて得度。 1939年、在家の修行である恵印灌頂を修めたのにつづき、1943年に出家の修行の仕上げとも言える金胎両部の伝法灌頂を修めました。
それは、出家・在家の行をすべて継承したことを意味します。

開教・布教

出家した僧侶だけでなく、在家の誰もが悟りを得ることを願い、開祖・伊藤真乗は戦後の宗教法人法改正を機に、大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)を所依とした真如苑を宗教法人として設立します。
同時に、暝想行のひとつである「接心修行」も確立、また、仏教の指導者である教師を育成し、国内外の各地に修行の拠点を設けるようになります。

宗教交流

1967年には、バチカンにてカトリックの教皇・パウロ6世と真如教主伊藤真乗が「仏の教えも、神の教えも求めるものはひとつ、人類の平和と幸福」と固い握手を加わしたことをはじめ、タイの上座部寺院・ワットパクナムなど、諸宗教・諸宗派との交流を重ねてきました。

大般涅槃経と伊藤真乗の思想

よろこびの境涯を得る

数多くの仏教経典のなかでも特に、『大般若経』、『妙法蓮華経(法華経)』、『大般涅槃
経』の3つは真如三部経とし、とりわけ『大般涅槃経』を根本経典として、真如苑では重ん
じています。
『大般涅槃経』のなかで特徴的に記される、「常楽我浄」に、開祖・伊藤真乗は注目しました。
「常」とは常住不変、「楽」は一切の苦楽に左右されないこと、「我」は絶対の自由、「浄」は差別なく煩悩にとらわれないことと、真乗は説いています。変わることのない仏とともに生きるとき、苦楽や煩悩に左右されない、自由な自分になっていくことができるということで、それはどういうことかと間われた真乗は、わかりやすく「心の中に平和を築いていくこと」と説明しました。
仏教では一般に「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦」と語り、欲や執われから離れて、空・無我をめぎすとされますが、『大般涅槃経』では「身は苦しみの集まるところ、いかでこれを楽しみとせん。」と説かれ、苦しみに執われるところから離れて、「上妙の楽(だのしみ)をうく」境涯があるとされます。
真如苑では、この前向きな精神を大切にしているのです。

生きとし生けるものに、仏性がある

「悉有仏性」、生きとし生けるものにはすべて、仏の性があるということ。
これは『大般涅槃経』の、もうひとつの大きな特徴です。これに、真乗は注目し、「誰もが仏になるところの性、わかりやすく言うならば燦然と輝くダイヤモンド(金剛)を持っている。」と語り、それを一人ひとりが磨き出す道を説きました。大乗経典『大般涅槃経』には、困難であっても、仏をめぎす道がかならずあるのだと記されています。
また、在家信者である純陀(じゅんだ)が釈尊に最後の供養を捧げ、釈尊がその真心を尊び、供養を受けられた姿が描かれています。真乗はこの一節に注目し、出家であっても在家であっても、真の行いと正しい修行を以て、仏性を磨き出すことができると語っています。

心に仏を刻む

大涅槃像を刻む主旨を間われた真如教主・伊藤真乗は、このように語っています。
「仏像をつくるというのは形の仏をつくることをいうのではない。『一切悉有仏性』といわれるように、一人一人の心底に秘められている仏性を開発して生きた仏たらしめ、この世に『常楽我浄』の仏土を顕現していく願いのためである。」
心に仏を刻むこと、これが、真乗の生涯の願いであり、真如苑のめぎすものなのです。

他に心を向けていく

大乗とは、サンスクリット語でマハーヤーナ、大きな乗り物の意味で、多くを乗せて悟りへ
と導ぐ乗り物"となる教えに乗ること、そして、自らも大きな"乗り物"となっていくことを指し、その「イ也に心を向けていくこと」は、大乗仏教の大切な考え方のひとつとなっています。イ也に向けた行動は、小さくとも、利他の精神を貫いていくことだと真乗は説きました。

在家の仏教徒・純陀が捧げたもの

釈尊がいよいよとお隠れにならんとする時、多くの者が集まり、最後の供養を捧げました。在家の仏教徒の純陀もそのひとりで、15人の仲間とともに、その場に駆けつけました。その時、釈尊は、他の弟子たちの供養は受けずに、純陀の供養をお受けくださったのです。このことは、『大般涅槃経』「純陀品(じゅんだぼん)」にあります。
高弟の集まるなかで、出家していない一仏教徒の純陀の供養を釈尊が受けられたこと、そして、この純陀が、釈尊入滅のときに、自らが馳せ参ずるだけでなく、仲間を誘い連れだって来た「自らだけではなく、他を導く行い」をしたことに、真乗は注目します。出家僧と在家信者の違いを越えて、教学的に真理を究めていこうとする心と同時に、他を思う行いの大切さを説いたのです。

真如苑開祖と涅槃像

(涅槃像謹刻中の伊藤真乗)
Shinjo Statue of nirvana.jpg

真如教主制作の涅槃像と仏像

真如教主・伊藤真乗 年譜

1906(明治39)年 3月28日に、伊藤文二郎・よしえの次男として出生。(6人兄弟姉妹の3番目)
1923(大正12)年 苦学を志し上京、中央電信局(現NTT)の購買部に勤務するかたわら夜学に励む。
1924(T13)年 正則英語学校(現・正則学園)の普通科に入学。
1925(T14)年 高等科に進学するが、1ヶ月後、規則により高等科を退学し青年訓練所に入る。また電信局の購買部を退社し写真機材店に勤務。
1927(昭和2)年 大正15年の徴集兵により、立川の近衛飛行第5連隊に入隊、写真科に編入。
1928(S3)年 12月10日に軍隊を除隊。
1929(S4)年 1月中旬に石川島飛行機の技術部に勤務。同僚との縁から浄土教学や易学、日蓮宗や法華経などを研鑚。
1932(S7)年 内田友司と結婚。文明と友司は同郷で、またいとこの続柄であったが、お互いの家系に伝わる宗教的背景を感得し、次第に仏教を研鑚する。
1935(S11)年 大日大聖不動明王を勧請、友司と共に宗教専従の道に立つ。同年5月、真言宗醍醐派総本山醍醐寺(京都市)にて出家得度。
1936(S11)年 不動明王の縁から真言宗成田山新勝寺の講中として成田山立川立照講を設立。
1938(S13)年 鐙檠山真澄寺を建立、「真言宗醍醐派・立川不動尊教会」と改称する。
1939(S14)年 醍醐寺にて恵印灌頂を法畢する。
1941(S16)年 醍醐寺にて伝法灌頂を取得し伝法阿闍梨となる。灌頂を得たことで、本山からは東京武蔵村山市の「常宝院」の特命住職に任ぜられた。戦後、真言宗から独立して「まこと教団」を設立。
1942(S17)年 4月20日に戸籍名を「伊藤文明」から「伊藤真乗」に改名。
1950(S25)年 以前の内弟子が告訴し、真乗逮捕(「まこと教団事件」発生)。
1951(S26)年 「まこと教団」を「真如苑」と改称。かねてから研鑚していた大般涅槃経を根本経典として教団の新体制を発足。
1953(S28)年 新たに施行された宗教法人法において文部省が「真如苑」を宗教法人として認証。
1957(S32)年 本尊となる久遠常住釈迦牟尼如来(大涅槃尊像)を謹刻。
1966(S41)年 3月、祖山・醍醐寺から大僧正位を受ける。11月、タイ国で開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本仏教界代表として出席。
1967(S42)年 「欧州宗教交流国際親善使節団」団長としてヨーロッパ8カ国を歴訪、ローマ法王パウロ6世と会見し涅槃像を贈る。
1970(S45)年 米国カリフォルニア州モンテベロ市に寄贈した聖徳太子像の贈呈式が行われ名誉市民となる。
1979(S54)年 発祥第二精舎落慶 本尊十一面観世音菩薩入仏開眼法要を厳修。
1979(S54)年 「真如苑宗教交流親善使節団」として欧州5カ国を巡教。
1984(S59)年 醍醐寺の命を受け、金堂において教主導師により弘法大師御入定一千百五十年御遠忌法要を執行。
1989(平成1)年 7月19日(午前0時23分)遷化。享年83。醍醐寺より「真如教主金剛身院常住救鳳真乗大本位」の法号が贈られた。

涅槃像と大日如来の関係




涅槃像謹刻経緯と作品説明


涅槃像と多くの仏像が展示されたミラノでの展覧会の模様。

(「伊藤真乗の目と手」展ミラノより)




真如苑Q&A

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  • 最終更新:2015-05-12 00:17:57

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