四相品(三密断肉神通解脱)
後半に和文本文のリンクと漢訳全文「電子大藏經 乾隆大藏經」
四相品(しそうぼん)見出し、本文
種々の神通変化を示現す
如来の身・口・意三密を説明して、如来の常住なることを説き、口蜜を説くに四相をあげてある。
断肉立制の文はここにあり、所謂百句解脱の文は、其の後にある。
四相品より (涅槃経解説・最後のみおしえ【南本】・伊藤真乗)
仏陀を信ずる者達よ、大般涅槃を説明するに、四相の義がある。
一つには自正、二つには正他、三に能隨問答(なんもんにこたえる)、四には善因縁義である。
1.四相のうち自正と正他
2.能随問答ということ
3.断肉の制定
4.破戒と戒律制定
5.執れの見地から涅槃を解することは邪である
6.涅槃法性が常住の仏
7.世間法的な眼で如来をみてはならない
8.如来の常住を低い見地から思いはかる迷い
9.真の解脱は純一にして水が一切を潤すようなもの
10.正法に帰依するものは譬えと事実を混同してはならぬ
断肉の制定=護法の意
迦葉は、そのとき世尊に申すよう
「世尊よ、肉食をしない人には大いなる功徳があると思いますから、私は、肉食者には肉を施さない方がよいと思いますが如何でありましょうか」
世尊は迦葉を誉めて
「善い哉……汝は仏の意(こころ)をよくしっている正法を身に行う護法の教徒はそうでなくてはならない。仏の深法を行ずる弟子達よ、これより声聞の弟子達には肉食を禁ずる。
若し肉を施す者があっても、その肉を見たら、子肉(しにく)に対する想いをなすがよい」
「世尊よ、何故に声聞衆に肉食をおゆるしにならないのですか」
「それは、肉食を好む者は、大慈の心を失うからである。先に三種(不見・不聞・不疑)の例外を許したのは精進に従って次第に制するからである。また十種の不浄肉【人(同類)象・馬(国宝)蛇(似竜)猪・狗(いぬ)・狐(鄙悪いやしむ)猿猴(似人)獅子(獣王)雞の十肉】や九種の浄肉【見・聞・疑・各前後方便と根本と三あるが故に九種となる】を禁ずるのもその修行によって次第に制するからである。
すべての制規(戒)を定めるのは菩提向上せしめる為のものであって、形式よりその精神に教の真髄を徹しさせる為である。
要は・貪りを除いてその心を浄めるためのものであって、仏の示す正法は、外道の禁欲主義と同一であると思ってはならない。
又形式よりその精神を尊ぶということに対して、無反省の者にはよき口実となるもので二重の心をもって“われは仏の正法通りに、その精神を重んじその形式には拘泥しない”
と巧みに偽って内外ともに乱すものもある。
仏の滅後、わが末の弟子にも、かかる邪見の者も出でて、仏の制規を乱し、外にその賢さや善をよそおって、内に貪嫉を燃やして、仏の正法さえあやうくするものも出るであろう。
わたしは本来の面目として、形式よりその精神より出ずる行い(如来法に生きる)を重んずるが故に、末の世のかかる弊害を矯める為に、正法を信奉してゆく弟子に規律(おきて)の厳正を叫ぶのである。
また種々の争いを起し、魚肉、穀類を蓄え世間的な権威者や富豪に親近(ちかずき)し、教法に名を借りて営利な業を起し、金銀財宝を貯え、人間本能的な娯楽にふける、かかる総ての悪業を離れ、内外ともに清浄な生活をしてゆく者が真の仏教徒であり真の仏の弟子である。
故に断肉の制定も、護法の意に外ならないのである。」
(最後のみおしえ での要約)
巻第四 四相品第七 (昭和新纂・国訳大蔵経【南本】)
四相品第七之上
此品は如来身口意の三密を開説し、口密に於いて四相を説き、以て品名とす。
(一)口密を開き四相を明かす。初め自正を明かす。
(二)第二正他を明かす。
(三)第三能隋問答を明かす。
(四)以下能隋問答中断肉立制を明かす。
(五)第四善解因縁義を明かす。
(六)四相一相を明かす。初めに四一を明かす。
(七)涅槃を料簡す。
(八)常無常の論議を挙ぐ。
(九)広く身密を開す。
(十)常住に就いて問答す。
四相品第七之下
此品は前品に継ぎ、如来の意密を開説するの章なり。
(十一)意密を開く如来の秘密蔵について論議す。
(十二)広く解脱を明かす。
(十三)三帰依に就いて問答す。
(十四)不生不滅を問う。
昭和新纂.経典部 第6巻コマ番号49
巻第四 四相品第七 (新国訳大蔵経・大般涅槃経【南本】)
(この涅槃経には目次等は存在しないが、書籍の解説部分にある科段を見出しとして整理しています。)
四相品七
├─四相品七(上)
⑹緻密を開く、問に答える─┬─口密を開き般若の徳を明かす
─┬─四相を明かす─┬─一相四相を明かす─┬─標 [7-1]
│││ │ ├─列 [7-2]
│││ │ └─解 釈─┬─自正を明かす [7-3]
│││ │ ├─他を正す─┬─歓喜を以て他を正す [7-4]
│││ │ │ ├─無我を以て他を正す [7-5]
││││ │ │ ├─常楽を以て他を正す [7-6]
││││ │ │ └─第一義を以て他を正す [7-7]
││││ │ ├─能く問に随って答える─┬─正しく能問答を釈す[7-8]
││││ ││└─断肉を唱える(六番の問答)─┬─有る師の釈 [7-9]
││││ ││ ├─大慈の種を断ず [7-10]
││││ ││ ├─三種の浄肉 [7-11]
││││ ││ ├─十種の不浄肉・九種の清浄 [7-12]
││││ ││ ├─美 食 [7-13]
││││ ││ └─尼犍の所見に同じくすべからず・如来の所制[7-14]
││││ │└─善く因縁を解す─┬─頓に説かざるを明かす [7-15]
││││ │ └─予め説かざるを明かす [7-16]
││││ └─四相一相を明かす [7-17]
│││└─涅槃を料簡す─┬─仏の料簡 [7-18]
│││ ├─迦葉の論義 [7-19]
│││ ├─領 解 [7-20]
│││ └─述 成 [7-21]
││├─身密を開き法身の徳を明かす─┬─身密を開く─┬─問 [7-22]
│││ │ └─答 [7-23]
│││ └─論 義─┬─初 番 [7-24]
│││ └─二 番 [7-25]
四相品七(下)
││└─意密を開き解脱の徳を明かす─┬─密を開くを明かす─┬─密を開く
─┬─問 [7-26]
├─答─┬─七譬(密の三業を斥けて顕の三業を開く) [7-27]
│││ │ │ ├─長者教子の譬(開密の因縁を釈す) [7-28]
│││ │ │ └─龍王の譬(開密の因縁無きを明かす) [7-29]
│││ │ └─領 解 [7-30]
│││ └─論 義─┬─初 番 [7-31]
│││ └─二 番 [7-32]
││└─解脱を明かす─┬─略して解脱を明かす
─┬─略して解脱を明かす─┬─広大を挙げる [7-33]
│││ │ ├─創疣無きを挙げる [7-34]
│││ │ └─解脱処 [7-35]
│││ └─論 義─┬─瘡疣無き義を論ず [7-36]
│││ └─解脱処を論ず [7-37]
││├─広く解脱を明かす─┬─問 [7-38]
│││ └─答─┬─上の瘡疣無き義を広げる [7-39]
│││ ├─上の解脱処の義を広げる [7-40]
│││ ├─上の其の性の広博の義を広げる [7-41]
│││ ├─更に上の瘡疣無き義を広げる [7-42]
│││ ├─更に上の解脱処の義を広げる [7-43]
│││ └─更に上の瘡疣無き義を広げる [7-44]
││└─総じて解脱を結す─┬─総 結 [7-45]
││ └─論 義─┬─三帰を問う [7-46]
││ ├─無作楽を問う [7-47]
││ └─不生不滅を問う [7-48]
四相品 (国訳一切経・涅槃部【北本】)
昭和4年発行の上巻には、見出しとして活用できる記述・注はないため下巻より見出しを整理します。
第四章 ブッダは悠久不滅である(一)<四相品>(現代語 完訳・大般涅槃経【北本】)
- 妙寂を説く四つの理由
- 自己を正すこと
- 他人を正すこと
- 六味の意味
- 三味の意味
- 相手に応じて問答すること
- 肉食禁止令
- 許された肉
- 美食とは
- 入滅百年後の仏教
- 因縁について解説すること
- 戒律の条文の意義
- 随犯制戒
- 四つの理由のまとめ
- ブッダは不滅
- 遠い過去に完成した人--ブッダ
- 全世界が一粒の中に入る
- ブッダの生涯は方便示現
- ブッダは人ではない
- 寂滅と消燈の違い
- 秘密の教えの公開
- ブッダに秘密はない
- 半字と満字
- 対機説法
- 完全寂滅とは解脱である
- ブッダのみが知る境地
- 真実の解脱とはなにか
- 呪縛から離れる
- 不動の心境
- 解脱と虚空は同じか
- 犯罪と動機
巻四 四相品(「国訳大蔵経・経部第八巻【南本】」)
トロント大学図書館の公開電子ブックによって見出しではなく涅槃経の全文・本文がご覧になれます。(スマホでは読めない場合があります。)
巻四 四相品 国訳文のリンク
巻四 四相品第七
巻四 四相品第七 漢訳原文のリンク
Nirvana Sutra: Appreciation of the "Mahayana Mahaparinirvana Sutra" (英文 英訳)
Chapter Seven: On the Four Aspects
“The Buddha again spoke to Kasyapa: "O good man! There are four aspects about which a Bodhisattva-mahasattva discriminates and expounds Mahaparinirvana. What are these four? They are: 1) rightness in one's own self, 2) correcting others, 3) complying well [with the teachings] and discussing, and 4) understanding well causal relations.
"O Kasyapa! What is rightness in one's own self? This is as when the Buddha Tathagata expounds Dharma, seeing well the causal relations. This is like a bhiksu seeing a great fire. He says: "I would sooner throw myself into this ball of burning fire than ever say that all the twelve types of sutras and the undisclosed teachings are from Mara [the devil]. If one says that the Tathagata, Dharma and Sangha are non-eternal, this is cheating one's own self and also others. I would sooner cut out my tongue with a sharp sword than ever say that the Tathagata, Dharma and Sangha are non-eternal. I might indeed hear others saying this, but I will never believe it. I shall even pity a person who says such as this. The Tathagata, Dharma and Sangha are inconceivable." One should uphold one's own self well like this. One looks to one's own self as if seeing a fire ball. This is how one sees rightness in one's own self.
電子大藏經 乾隆大藏經
- p0624c
大般涅槃經卷第四
宋代沙門慧嚴等依泥洹經加之
四相品第七之一
佛復告迦葉。善男子。菩薩摩訶薩分別開示大般涅槃。有四相義。何等為四。一者自正。二者正他。三者能隨問答。四者善解因緣義。迦葉。云何自正。若佛如來見諸因緣而有所說。譬如比丘見大火聚。便作是言。我寧抱是熾然火聚。終不敢於如來所說十二部經及祕密藏謗言此經是魔所說。若言如來法僧無常。如是說者為自侵欺亦欺於人。寧以利刀自斷其舌。終不說言如來法僧是無常也。若聞他說亦不信受。於此說者應生憐愍。如來法僧不可思議應如是持自觀己身猶如火聚。是名自正
迦葉。云何正他。佛說法時有一女人乳養嬰兒。來詣佛所稽首佛足。有所顧念心自思惟便坐一面。爾時世尊知而故問。汝以愛念多含兒酥。不知籌量消與不消。爾時女人即白佛言。甚奇世尊。善能知我心中所念。唯願如來教我多少。世尊。我於今朝多與兒酥。恐不能消將無夭壽。唯願如來為我解說。佛言。汝兒所食尋即消化增益壽命。女人聞已心大踊躍。復作是言。如來實說故我歡喜。世尊。如是為欲調伏諸眾生故。善能分別說消不消。亦說諸法無我無常。若佛世尊先說常者。受化之徒。
- 最終更新:2014-10-11 07:49:04