四依品解説
四種の人 隠没 末法 苦難の世
四依品(しえぼん) 解脱
要点
この品は如来の使者となって末世に経をひろめ衆生の依止(よりどころ)となる四種の人を解説する章です。
四種の人:第一有人出世具煩悩性。第二須陀洹人斯陀含人。第三阿那含人。第四阿羅漢人。
この経は地中に隠没し苦難の世に再現する
四依:
法に依りて人に依らざる
義に依りて語に依らざる
智に依りて識に依らざる
了義に依りて不了義に依らざる
合成前個別目次四依品(四種の人隠没苦難の世)
四依品本文 和漢(電子ブック)WEB大蔵経 英中
本文は以下の「トロント大学図書館の電子図書」と「国会図書館ライブラリー」のリンクでご覧になれます。
巻六 四依品第八
WEB大蔵経 英文 中文
Nirvana Sutra:Appreciation of the "Mahayana Mahaparinirvana Sutra"
四依品より (涅槃経解説・最後のみおしえ【南本】・伊藤真乗)
此品は如来の使者となりて末世に経を弘め衆生の依止となる四種の人を開説するの章なり。
││├─四依品八
◎頼りになる仏教徒はだれか
(一)初に四依を明かす。
●第一種の人
⑦依止を作す問に答える─┬─名相を標す─┬─章を標して歎ず [8-1]
●第二種の人第三種の人第四種の人
│││ │ ├─数を列して歎ず [8-2]
│││ │ └─相を示して歎ず [8-3]
│││ ├─利益を辨ず─┬─声聞に降すことを教える─┬─問[8-4]
│││ │ │ └─答[8-5]
│││ │ └─菩薩に降すことを教えず─┬─問[8-6]
│││ │ └─答─┬─問を然りとす [8-7]
│││ │ ├─正しく答える─┬─法 [8-8]
│││ │ │└─譬─┬─仏は声聞を教える [8-9]
│││ │ │ ├─仏は菩薩を教えず [8-10]
│││ │ │ └─菩薩は声聞を教える [8-11]
│││ │ └─結 成 [8-12]
1.この経は地中に隠没し苦難の世に再現する
●四十年後に仏法は滅する
(二)仏大般涅槃経について時を説き給う。
│││ ├─出時を明かす─┬─仏は通じて時を説く [8-13]
│││ │ ├迦葉は別して時を問う┬─問 [8-14]
│││ │ │ └─答─┬─不如法の時を答える [8-15]
│││ │ │ └─如法人は能く抜済するを答える [8-16]
│││ │ └─迦葉の料簡─┬─問 [8-17]
│││ │ └─答 [8-18]
│││├─因を植えるを論ず─┬─問 [8-19]
││││ └─答 [8-20]
●ブッダ亡き後の生き方
(三)発菩提心の功をとき、四依の人を明かす。
│││├─罪福を判ず─┬─罪福の因果を明かす─┬─謗相を明かす [8-21]
││││ │ ├─信相を明かす [8-22]
││││ │ ├─人を謗る報を明かす [8-23]
●ブッダの死を喜ぶ者
││││ │ └─人を信ずる報を明かす [8-24]
││││ └─福を勧め依を結す [8-25]
│││├─供養を勧める─┬─供養を勧める [8-26]
2.持戒と破戒修行の緩み
◎正法を知る人はだれか
(四)持戒破戒につきて広く論議す。
││││ └─論 義─┬─問 [8-27]
││││ └─答─┬─略して答える [8-28]
││││ └─応 答─┬─時を挙げる [8-29]
●持戒の表老と持戒の少年
││││├─譬を設ける─┬─譬─┬─時を為いて譬を作す [8-30]
│││││ │ ├─同を為いて譬を作す [8-31]
│││││ │ └─糾を為いて譬を作す [8-32]
│││││ └─合─┬─和同を合す [8-33]
│││││ └─糾治を合す [8-34]
││││└─結 成─┬─有罪無罪を結す [8-35]
││││ └─但だ菩薩の為にして声聞の為に非ずと結す [8-36]
◎正法を守る人はだれか
(五)是より持戒破戒について真偽を簡ぶ(えらぶ)。
●持戒者と破戒者の見分け方
│││├─料簡(真偽を簡ぶ)─┬─問 答─┬─問 [8-37]
││││ │ └─答─┬─失不失を答える [8-38]
││││ │ └─緩不緩を答える [8-39]
││││ ├─法に約して簡ぶ─┬─福田に約して簡ぶ─┬─法 [8-40]
││││ │ │ ├─譬 [8-41]
││││ │ │ └─合 [8-42]
││││ │ ├─智に約して簡ぶ─┬─譬 [8-43]
││││ │ │ └─合 [8-44]
││││ │ └─天眼に約して簡ぶ─┬─譬 [8-45]
││││ │ └─合 [8-46]
││││ └─領 解 [8-47]
│││└─今昔を会す─┬─問─┬─昔の依を挙げる [8-48]
│││ │ └─会を請う [8-49]
3.四依の説法
◎四つの拠り所とはなにか
(六)法四依、人四依の相関を宣説す。
│││ └─答─┬─別して会す─┬─法に依るは即ち人に依るを明かす[8-50]
│││ │├─昔は人に依らざるを明かす(無法の人に依らず)[8-51]
│││ │├─今は人に依るを明かす(有法の人に依る) [8-52]
│││ │└─下を挙げて上を況べる [8-53]
│││└─総じて会す─┬─今教に就いて会す─┬─会
─┬─法に依りて人に依らざるを会す [8-54]
│││ ││ ├─義に依りて語に依らざるを会す [8-55]
│││ ││ ├─智に依りて識に依らざるを会す [8-56]
│││ ││ └─了義に依りて不了義に依らざるを会す─┬─宗を標す[8-57]
│││ ││ ├─歴 法 [8-58]
│││ ││ └─宗を辨ず[8-59]
│││ │└─結 [8-60]
│││ ├─今昔相対して会を挙げる(今昔相対会通)─┬─両依共に釈す
─┬─義に依るを釈し兼ねて法に依るを明かす [8-61]
│││ │ │ ├─人に依らざるを釈す [8-62]
│││ │ │ └─語に依らざるを釈す [8-63]
│││ │ ├─第三を釈す [8-64]
│││ │ └─第四を釈す [8-65]
│││ └─会を結す [8-66]
最後のみおしえ より
「如来は、一般の人々や、仏の教法を修めようと志す者の為に、この四依を説くのであって、己に正法に帰依し菩提の向上をはかり、真実なる智慧を磨くべく、万有に対応して、正しくその真姿を見極められるようになった者の為ではない。
更に言うなれば
法とは――万有の真実なる相であり。
義とは――如来の常住不変であり。
智とは――一切悉くの生類に仏性のあることを覚知することであり。
了義とは――一切の大乗経典に通達してそれを体解することである」と。
複合見出し
見出し構成
「最後のみ教え」を構成基幹として、
並びとして現代語訳(現代語完訳・大般涅槃経)に◎●○印を、
昭和新纂(昭和新纂・国訳大蔵経)の注の(漢字番号)を、
新国訳(新国訳大蔵経・大般涅槃経)の[科段の行番号]を
それぞれ付記しています。
<参考>
メモ
この品は如来の使者となって末世に経をひろめ衆生の依止(よりどころ)となる四種の人を解説する章です。
いわゆる末法の世になった時の帰依先となる四種人の説明ですが、涅槃経から見ると少し事柄が違います。末法と末世との言葉ではなく、仏法の隠没、そして再現するとあります。
また真乗は、涅槃経からの用語「隠没」を使用しつつ、仏教用語の「末世」とはいわずにとくに宗教用語でもない「苦難の世」という見出しをつけています。これは一つの発見でして、苦難の世との言い方は涅槃経の訳にはなく、キリスト教での使用が多いのですから驚きですね。
「涅槃経は地中に隠没し苦難の世に再現する」「法に依りて人に依らざれ」は、苑内でもよくきく言葉ですが、この四依品からのことばです。
人四依
人四依(にんしえ)とは、大乗経典の涅槃経に説く、仏滅後の末世(すなわち末法)に正しく依るべき4種の人をいう。四種人ともいう。法四依を受持する凡夫と声聞衆(須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢)のこと。ただし涅槃経ではこの4種人をただの凡夫・声聞と見ず菩薩と見る(後述)。
凡夫ではあるが、出家してなお煩悩を持ちながらも仏より聞いた所説を自ら正しく解し、他にも分別宣説する人で、よく菩薩の方便所行秘密の法を知る人。
仏より聞いた法を書写受持し読誦して他のために説く人で、これは須陀洹(すだおん)及び斯陀含の位にあっても菩薩にして、すでに受記(近い将来に仏と成ることを約束する)を得た人。
正法を護持する人と正法を宣説する人を分別し得る人で、阿那含の位にあっても、すでに受記を得て間もなく成仏する菩薩と名付く。
自ら煩悩を断じて自在に智慧を得て、仏道を成ぜんと大願を発せば何時でも成仏することのできる人で、これを阿羅漢というが実は如来と何ら異なるところはない。
これらの4種人が、仏亡き後の帰依処であると説いている。先の法華経では声聞衆に記別を与えたものの、声聞衆が菩薩、また如来・仏と同一視した記述はないが、涅槃経の記述は、法華経の説を更に推し進めたものである。涅槃経は仏の所説の中で最終最後にして、それまでの大乗・小乗といった論争を止揚すべく、これらの諸問題を乗り越えて、これまで説いている教えを最終的にすべて融和せんとする目標から編集記述されたものであることは特筆すべき点である。
法四依
法四依(ほうしえ)とは、大乗経典に説かれる4つの法義をいう。
維摩経の法供養品や大智度論、成実論の第2にも見られるが、特に涅槃経の四依品では、仏滅後の末世(すなわち末法)に正しく依るべき4つの法義をいい、涅槃了義の観点から法四依を再説している。
依義不依語(義に依りて語に依らざれ)
意味に依拠して、文辞に依拠しない
依智不依識(智に依りて識に依らざれ)
智慧に依拠して、知識に依拠しない
依了義経不依不了義経(了義経に依りて不了義経に依らざれ)
仏の教えが完全に説かれた経典に依拠して、意味のはっきりしない教説に依拠しない
依法不依人(法に依りて人に依らざれ)
真理(法性)に依拠して、人間の見解に依拠しない
末法-白法隠没-
釈尊は、自らの入滅後の未来について、正法、像法、末法という三つの時代があることを説き、それらは経文に記されています。
三時については各経典に異説があるものの、説くところの内容は一致しています。すなわち釈尊滅後には、正法、像法という時代が有り、これらの衆生は本已有善(過去において仏になるための妙法の種をすでにもらっている)の人々であり、その妙法の種が長い流転の人生において調熟し釈尊の教えによって妙法を覚知して脱益(成仏)できたのです。これを種熟脱の三益と言いますが、末法の時代は、こうした本已有善の人々はいなくなり、下種(成仏するための妙法の種)を受けていない三毒(「貪」[貪り執着する機根が強い者]「瞋」[嫌悪や憎悪の機根が強い者]「痴」[真理や道理に暗く愚かで無知な者])が強情で、さらに怒りや慢心等も強い本未有善(仏になるための妙法の種を受けてない)の人々だけの濁乱の時代になります。
そして、五濁(劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁)悪世の時代であることが説かれています。したがってこの末法に入ると、もはや釈尊の熟脱の法では救える衆生たちではなく、釈尊の法(白法)が隠没して効力が無くなることを説いています。
白法隠没とは、病人にたとえると、正法時代や像法時代までの衆生は本已有善の軽症患者であり、釈尊の与える薬(教え)で治癒(成仏)出来たのですが、末法に入ると本未有善の重症患者だけになり、病に効くより強力な特効薬(妙法の種)を与えることができる人でないと、もはや治癒(成仏)が出来ないという、釈尊の法が隠没する時代になると説いています。
正像末 の 三時 【『大集経』より】
【正法時代】(釈尊滅後1000年間)
●第一の五百歳→解脱堅固(仏法によって証を得て誤りのない時代)
●第二の五百歳→禅定堅固(禅定が盛んに行われて証を得る時代)
↓
【像法時代】(釈尊滅後1000年~2000年の間)
●第三の五百歳→読誦多聞堅固(経文の読誦や教義が行われて利益のある時代)
●第四の五百歳→多造塔寺堅固(塔や寺が盛んに建造されて利益のある時代)
↓
【末法の始め】(釈尊滅後2000年)
●第五の五百歳→闘諍堅固・白法隠没(争いが盛んになり、釈尊の仏法の利益がことごとく隠没する時代)
末法思想
メモ
- 最終更新:2014-11-09 21:45:53