最後のみ教え
「最後のみおしえ・真如苑伊藤真乗」の見出し
- 「涅槃経解説・最後のみ教え【南本】・伊藤真乗」について
- 書籍としては、真如苑の機関紙「歓喜世界」28号(1956年)から掲載された「最後のみおしえ・涅槃経解説」シリーズを用います。
- 書籍の目次として作成されたものは存在しないが、段落ごとに記された小タイトルを「見出し」として挙げます。
- 釈尊「最後のみおしえ」と釈尊「最後のみ教え」
- 「歓喜世界」シリーズではすべて「みおしえ」
- 真如苑関係の出版物では「教え」の漢字表記が多い
- このページでは、シリーズタイトルは漢字ではない「みおしえ」を用います。
- 見出しのみで、解説本文の掲載はありません
- 伊藤真乗の解説文の中で出てくる章句はこのWIKIでは掲載しません。見出しのみ。
- 伊藤真乗訳文に近く真如苑教徒として読みやすい国訳文は「昭和新纂・国訳大蔵経」と思われるので、国会図書館ライブラリーをリンク・紹介します。
- 昭和新纂.経典部 第5巻、純陀品以降はコマ番号のみ表記。
序品より (最後のみおしえ)
- 弟子の懇請
- 居士並びに信女達の供養の懇請
- 王候はじめ多くの供養者
- 娑羅林の自然荘厳と供養
- 魔王波旬の供養の懇請
- 他の世界からの供養者
- 神通により無数の淨土出現
- 人を喰い殺す毒蛇までも加わる
- 世尊のみ口より五色のみ光を放つ
- 如来の常住
昭和新纂.経典部 第5巻コマ番号4
純陀品より (最後のみおしえ)
- まことの供養
- 二種の施しとその果報について
- 供養のよろこび
- 佛陀は最勝の尊
- 教を枉げぬ純陀の不動心
- 佛陀の大慈しみは永遠に変らず
コマ番号19
哀歎品より (最後のみおしえ)
- 佛涅槃し給わば 病者に薬なきが如し
- 眞実を徹見しないと酔人のごとく廻転して見ゆ
- 常楽我浄の勝れた修法
コマ番号27
長寿品より (最後のみおしえ)
- 仏の寿命は無量にしてその教法は盡きることなし
- 迦葉菩薩の質問
- 如来の慈悲は平等にふりそそぐ
- 人を欺かざる 善法を伝えよ
- (長寿品第一の三)長寿を得んと欲せば、応当に一切衆生を護念すること、子想に同じくし、大慈・大悲・大喜・六捨を生じ、不殺戒を授け、善法を修せしむべし。亦当に、一切衆生を五戒・十善に安止し、亦地獄・餓鬼・畜生・阿修羅等の一切諸趣に入りて、是の中の苦悩の衆生を抜済し、未脱の者を脱し、未度の者を度し、未涅槃の者に涅槃を得しめ、一切の諸の恐怖の者を安慰すべし。是の如きの業因縁を以ての故に、菩薩は則ち寿命長遠を得、諸の智慧に於て自在を得、寿(いのち)終る所に随いて天上に生ず。
- (歓喜浄土への道)接心道場工事中、二、三のかすり傷をうけた方はありましたが、怪我人もなく建築の方々又工事関係の方々も、ま心を以て、総て職場々々の責任を盡して、その工事に従事して頂いたことは、私共又信徒の方々の最も喜びとするところであります。
又私が更に喜びとすることは、この道場建設及び涅槃像に協力して頂くことによって、工事関係の方々が、涅槃経の尊さを更に深く理解されたことであります。
この度の接心道場完成と同時に、又四月八日の、この仏生会を契機に、皆様方も、更に多くの人々に、転生出離して頂くようお導きし、お互に盡させて頂いて、自分の喜びを他の方に分ち合い、この世に歓喜浄土を顕現していって頂き度いと思います。
それが家庭平和、しいては世界平和への道としていくことではないでしようか――。
仏徒の使命を更に深く感じ、よりよくいかして、一乗の道をともに歩んで参りましよう。
昭和新纂.経典部 第5巻コマ番号35
金剛身品より (最後のみおしえ)
- 如来の病苦を示すは衆生を調伏せんがため
- 正法護持の因縁を以て金剛身を成就
- 三種の僧がある
コマ番号43
名字功徳品より (最後のみおしえ)
- 名字の功徳を説き給う
コマ番号47
南本と北本の分類について
各品の大要
寿命品 第一 涅槃経は拘尸那羅城外の力士生地、尼蓮禅河の辺、娑羅双樹の間に於て二月十五日、釈尊が一日一夜に説きたまうた法であると云う。
ほとけは大音を発して「疑ある者は最後の問をなすべし」と宜い、周囲に参集した諸々の衆生は、悲号啼哭した。
その中には、摩訶迦旃延尊者を始めとしてあらゆる声聞・縁覚・優婆塞・優婆夷などいろいろな諸衆が、いずれも供物を捧げて、最後の供養を捧げることを望んだが、仏は許されなかった。
この時に娑羅林は白く、恰も白鶴のように変じた。鶴林の名は、之より出たものであると云う。
ここに来集した衆生は、諸王長者より、山神・河神・海神等の五十二類で、ただ迦葉と阿難と、阿闍世王及びその巻属を除くと記されている
。
時に純陀が、最後の供養を捧げると、仏は之を甘受したまうて、之に対して、仏が常命・常色・常力・常安楽‘常無礙弁才を具うる事を説き給う。
文殊菩薩、来って純陀と問答する。
純陀去って、大地震動し、仏は法身・般若・解脱の三徳を内容とする秘密蔵を説かれる。
更に大迦葉に長寿の因を説き、利他行に終始す可しと説き、帰依の対象として、常住の一体三宝に及ぶ。
年少なる迦葉菩薩来って問答し、仏の称讃を蒙った。
金剛身品 第二 迦葉菩薩を対手として、如来の金剛不壞なることを説き、正法護持を勤められる。
名字功徳品 第三 大涅槃の名字義・理功徳を釈し給う。
如来性品 第四 如来の身・口・意三密を説明して、如来の常住なることを説き、口蜜を説くに四相をあげてある。
断肉立制の文はここにあり、所謂百句解脱の文は、其の後にある。
次で四依を説き、仏説、魔説を分別し、四諦を諦き、涅槃経の見方に立つ顚倒の見を釈し、しかして我即仏性の理を明すに、鳥喩月喩を以てし、一面に於て、一乗の教義を拡むると共に、他の一面に於ては一闡提を除く。
四相品より (最後のみおしえ)
- 四相のうち自正と正他
- 能随問答ということ
- 断肉の制定
- 破戒と戒律制定
- 執れの見地から涅槃を解することは邪である
- 涅槃法性が常住の仏
- 世間法的な眼で如来をみてはならない
- 如来の常住を低い見地から思いはかる迷い
- 真の解脱は純一にして水が一切を潤すようなもの
- 正法に帰依するものは譬えと事実を混同してはならぬ
昭和新纂.経典部 第5巻コマ番号49
四依品より (最後のみおしえ)
- この経は地中に隠没し苦難の世に再現する
- 持戒と破戒修行の緩み
- 四依の説法
邪正品より (最後のみおしえ)
- 魔説と仏説の分別
- 魔の眷属と菩薩
- 魔説と仏説の微妙な交錯
- 一切衆生はみな仏性を具有しているが
四諦品より (最後のみおしえ)
- 苦聖諦(くしょうたい)について
- 集聖諦(しゅうしょうたい)について
- 苦滅諦(くめつたい)について
- 道聖諦(どうしょうたい)について
四倒品より (最後のみおしえ)
- 四倒について
- 初倒と名づけるもの
- 第二の顚倒と名づけるもの
- 第三の顚倒と名づけるもの
- 第四の顚倒と名づけるもの
如来性品より (最後のみおしえ)
- 貧女の金蔵
- 病児に対する母の慈愛
- 仏性真我の、その所在について
- 力士の眉間を飾る宝珠
- 仏性真我の断滅は出来ない
- 甘露も消化せずば毒となる
- 三宝一体と真実我は法僧にあり
- 真実の帰依処と聖教徒の聖行
- 大乗の清浄行処は大涅槃宜説にあり
- 如来は無我を摩阿般若経にて説いた
- 仏性の智見は大般涅槃経に依る
文字品より(最後のみおしえ)
鳥喩品より(最後のみおしえ)
月喩品より(最後のみおしえ)
菩薩品より(最後のみおしえ)
一切大衆所問品より(最後のみおしえ)
現病品より(最後のみおしえ)
聖行品より(最後のみおしえ)
梵行品より(最後のみおしえ)
嬰児行品より(最後のみおしえ)
高貴徳王菩薩品より(最後のみおしえ)
師子吼菩薩品より(最後のみおしえ)
迦葉菩薩品より(最後のみおしえ)
橋陳如品より(最後のみおしえ)
伊藤真乗の主な出版物
- 最終更新:2014-10-09 02:13:28